気付けなくて…ごめんなさい。
~2017年10月27日~
この時のソウハ手術から、約1年4ヶ月。
この間、精神的な理由からか月経が止まったり…
なかなか妊娠しなかったので、基礎体温をつけたり…
子宝祈願で有名な神社に参拝したり…
第二子を願い頑張ってきました。
で、新年早々…気管支炎とインフルエンザになり…また月経停止。
もしや…と思い、妊娠検査薬を試すも陰性
まぁ、かなり服薬したし…妊娠はないか。
もしかして、閉経???まさか、病気???
と不安になりつつも…月経来るのを待ってました。
3ヶ月目が来なかったら、病院行こう。って気持ちで居たら…
それは突然やってきました。
2月末の日…月経がきた♪と喜んだのも束の間。
夜11時過ぎ…家事が出来ないほどの腹痛。腰痛。
夜12時を前に経血の量が増え…悶絶。
これは何かおかしい。
トイレに行った瞬間、破水の様な音と感触。
軽いパニックになりつつも、ここはまずい!
と瞬間的に悟り、大声で旦那を呼び、足にビニール袋を履き、お風呂場へ。
浴室に入って、しゃがみ込んだ瞬間、また嫌な音と共に大量出血。
シャワーで流しても流して、浴室の洗い場は血の海。
旦那があちこちに電話して、ようやく受け入れてくれる産婦人科をみつけてくれました。
夜2時過ぎ…タクシーを拾いに行って、訳を話し、タクシーが血で汚れないように準備し、ふらふらの私と寝起きの娘を連れ、病院に運んでくれました。
私の意識が無ければ、救急車を呼べたんでしょうが…意識があったのでタクシーで行けと救急相談の人に指示されたようです。
病院に着き、処置され、朦朧としてる私と旦那に医者から言われた言葉は…
「奥様は、妊娠してました。そして、流産されました。朝一番に子宮内容物除去手術となります。」
でした。
前回の流産から、ようやく立ち直り…
ようやく前向きに頑張れるようになったのに…
前回とは違う落ち込み方でした。
前回も稽留流産と言われ悲しかったけど、今回は気付いてもあげられなかった。
気付いてあげられたら…こんな結果にならなかったんじゃないかと言う罪悪感と悲しみ。
手術前、また気持ちが落ちるんじゃないかと自分自身不安だった。
でも、今回は手術が終わる頃に母が新幹線で大阪に向かってくれてると旦那から連絡がありました。
ソウハ手術は午前中に手術したら、夕方には退院となるのですが(前回がそうだった)、今回は処置前と処置中の出血がかなりあった為、退院まで時間がかかり夜8時前に何とか退院となりました。
帰宅すると母と娘が出迎えてくれました。
私の貧血が酷かったので、27日から1週間…母が娘氏の幼稚園の送り迎え、習い事の送り迎え、掃除洗濯、買い出しと頑張ってくれました。
夜中は私と話をしてくれ…一人で考え込む時間を過ごさずに済みました。
(前回の流産後は、1人になると涙が止まらなくなり、どんどん落ち込んで行きました。)
まぁ、母が帰ってから少し1人の時間が辛かったですが…前に比べるとマシだったと思います。
退院後の週末の「3月3日」には旦那のお義母さんも梅田で雛祭りケーキを買って、来てくれました。
また流産したにも関わらず、優しく励ましてくれるお義母さんにも感謝でした。
今回は前回以上に悲惨な場面(血の海)を旦那に見せる羽目になり…申し訳無く思っていると、旦那が「気にするな。実は、娘氏の出産時に看護婦さんに見たらあかんよ!って言われた瞬間に胎盤って言うの?同じ様なの見てるから、そんなにビビってないよ。」って言われ…少しホッとしました。
あれは、女の私でもドン引きしたので…男性の旦那に見せるもんじゃないなぁーと、ずっと心にあったので…旦那の優しさが嬉しかったです。
だからかな…前回は半年落ち込んで前向きになれなかったのに、今回は約1ヶ月で前向きになれてきました。
最後に…
気付いてあげられなくて、本当にごめんね。
でも、また来て欲しいと娘と共に願ってます。
パパはママの身体が弱いから心配して、諦めてる所があるけれど…心の奥では願ってくれてるはずだから。
どうか、次…縁があった時には…
今度こそ逢えますように。
この時のソウハ手術から、約1年4ヶ月。
この間、精神的な理由からか月経が止まったり…
なかなか妊娠しなかったので、基礎体温をつけたり…
子宝祈願で有名な神社に参拝したり…
第二子を願い頑張ってきました。
で、新年早々…気管支炎とインフルエンザになり…また月経停止。
もしや…と思い、妊娠検査薬を試すも陰性
まぁ、かなり服薬したし…妊娠はないか。
もしかして、閉経???まさか、病気???
と不安になりつつも…月経来るのを待ってました。
3ヶ月目が来なかったら、病院行こう。って気持ちで居たら…
それは突然やってきました。
2月末の日…月経がきた♪と喜んだのも束の間。
夜11時過ぎ…家事が出来ないほどの腹痛。腰痛。
夜12時を前に経血の量が増え…悶絶。
これは何かおかしい。
トイレに行った瞬間、破水の様な音と感触。
軽いパニックになりつつも、ここはまずい!
と瞬間的に悟り、大声で旦那を呼び、足にビニール袋を履き、お風呂場へ。
浴室に入って、しゃがみ込んだ瞬間、また嫌な音と共に大量出血。
シャワーで流しても流して、浴室の洗い場は血の海。
旦那があちこちに電話して、ようやく受け入れてくれる産婦人科をみつけてくれました。
夜2時過ぎ…タクシーを拾いに行って、訳を話し、タクシーが血で汚れないように準備し、ふらふらの私と寝起きの娘を連れ、病院に運んでくれました。
私の意識が無ければ、救急車を呼べたんでしょうが…意識があったのでタクシーで行けと救急相談の人に指示されたようです。
病院に着き、処置され、朦朧としてる私と旦那に医者から言われた言葉は…
「奥様は、妊娠してました。そして、流産されました。朝一番に子宮内容物除去手術となります。」
でした。
前回の流産から、ようやく立ち直り…
ようやく前向きに頑張れるようになったのに…
前回とは違う落ち込み方でした。
前回も稽留流産と言われ悲しかったけど、今回は気付いてもあげられなかった。
気付いてあげられたら…こんな結果にならなかったんじゃないかと言う罪悪感と悲しみ。
手術前、また気持ちが落ちるんじゃないかと自分自身不安だった。
でも、今回は手術が終わる頃に母が新幹線で大阪に向かってくれてると旦那から連絡がありました。
ソウハ手術は午前中に手術したら、夕方には退院となるのですが(前回がそうだった)、今回は処置前と処置中の出血がかなりあった為、退院まで時間がかかり夜8時前に何とか退院となりました。
帰宅すると母と娘が出迎えてくれました。
私の貧血が酷かったので、27日から1週間…母が娘氏の幼稚園の送り迎え、習い事の送り迎え、掃除洗濯、買い出しと頑張ってくれました。
夜中は私と話をしてくれ…一人で考え込む時間を過ごさずに済みました。
(前回の流産後は、1人になると涙が止まらなくなり、どんどん落ち込んで行きました。)
まぁ、母が帰ってから少し1人の時間が辛かったですが…前に比べるとマシだったと思います。
退院後の週末の「3月3日」には旦那のお義母さんも梅田で雛祭りケーキを買って、来てくれました。
また流産したにも関わらず、優しく励ましてくれるお義母さんにも感謝でした。
今回は前回以上に悲惨な場面(血の海)を旦那に見せる羽目になり…申し訳無く思っていると、旦那が「気にするな。実は、娘氏の出産時に看護婦さんに見たらあかんよ!って言われた瞬間に胎盤って言うの?同じ様なの見てるから、そんなにビビってないよ。」って言われ…少しホッとしました。
あれは、女の私でもドン引きしたので…男性の旦那に見せるもんじゃないなぁーと、ずっと心にあったので…旦那の優しさが嬉しかったです。
だからかな…前回は半年落ち込んで前向きになれなかったのに、今回は約1ヶ月で前向きになれてきました。
最後に…
気付いてあげられなくて、本当にごめんね。
でも、また来て欲しいと娘と共に願ってます。
パパはママの身体が弱いから心配して、諦めてる所があるけれど…心の奥では願ってくれてるはずだから。
どうか、次…縁があった時には…
今度こそ逢えますように。